神社は「誰かのもの」じゃない|神戸宗社が次の世代へひらく理由【第3部】|すずこれ

連載第3部|神戸宗社インタビュー

神社は「誰かのもの」じゃない

―― 次の世代へ、ひらかれていく神戸宗社 ――

📌この記事の3つのポイント

・石取祭りを続ける中で見えてきた「次の担い手」への課題
・「見る祭り」から「関われる祭り」へという模索
・神社を“敷居の高い場所”にしないための、小さな工夫

はじめに

取材の終盤、鈴本宮司の言葉の中で、何度も繰り返し出てきたのが「次の世代」という言葉でした。

それは、単に“若い人”という意味ではありません。
これから生まれてくる子どもたち。
最近この町に引っ越してきた人たち。
神社と、まだ十分に出会っていない人たち。

「どう関わってもらうか」ではなく、
「どうしたら、自然に近くにいられるか」
その問いが、この神社の未来を形づくっているように感じました。

1. 石取祭りと、「続ける」ということ

神戸宗社の石取祭りは、約120年の歴史を持つ行事です。
現在、祭車は8台。
地域の誇りとして、大切に受け継がれてきました。

一方で、現実もあります。
担い手の多くは、進学や就職をきっかけに地元を離れる。
祭りの時期だけ戻ってくる人も少なくありません。

「今は何とか続いているけれど、
次の、その次を考えると簡単ではない。」

そんな率直な言葉が、印象に残りました。

続けたい。
でも、無理はさせたくない。
伝統と現実のあいだで、模索が続いています。

2. 「8町だけのもの」にしないために

神戸宗社には、関係する地区が複数あります。
石取祭りに直接関わるのは8町。
けれど、それ以外の地区の人たちも、「見る側」として祭りを楽しんできました。

「見るだけじゃなくて、
何か一緒に参加できる形があればいいなと思うんです。」

担ぐ人でなくてもいい。
準備を手伝う人でもいい。
見守る役割でもいい。

“関わり方に正解はない”という発想が、次の一歩につながっているように感じました。

3. 敷居を下げるための、ささやかな工夫

「神社は敷居が高い」
そう感じる人がいることも、鈴本宮司はよく分かっていました。

生まれたときから神社が身近にあった人と、そうでない人とでは、感じ方が違う。

だからこそ、境内には少しずつ変化があります。

金魚やカメ、スッポンなどの生き物。
子どもが足を止め、覗き込む場所。

「ちょっとホッとしてもらえたら、それでいいんです。」

参拝の作法が分からなくてもいい。
特別な用事がなくてもいい。
ただ、立ち寄れる場所であること。

その積み重ねが、神社との距離を少しずつ縮めていくのだと思いました。

4. 「あなたのもの」と言える場所へ

事前アンケートで、鈴本宮司が読者に向けて寄せてくださった言葉があります。

「神社は誰かのものではありません。あなたのものです。」

この言葉は、第1部から第3部を通して伺ってきたすべての話と、静かにつながっているように感じます。

守る人がいて、
関わる人がいて、
初めて訪れる人がいる。

そのすべてを受け止める場所でありたい。
それが、神戸宗社の目指す未来なのだと思います。

おわりに

神社は、何かを「しなければならない場所」ではありません。

祈ってもいいし、
立ち寄るだけでもいいし、
ただ静かな空気を感じるだけでもいい。

神戸宗社のこれからは、特別なことを増やす未来ではなく、関われる余白を残していく未来なのだと感じました。

2000年続いてきた場所が、これからも静かに息づいていくために。
その真ん中には、人と人とのつながりがあります。

✏️ 編集長:松山加奈の感想

取材を通して感じたのは、「続ける」ということの難しさと、やさしさでした。
無理に引き寄せない。押しつけない。
それでも、そっと扉は開いている。

神社は、誰か特別な人のための場所ではなく、日々を生きる私たち一人ひとりのそばにある場所。
そう思えるだけで、少し心が軽くなる気がします。

この場所が、「また来てもいいかな」と思える存在であり続けますように。

松山かな(看護師/すずこれ編集長)
神戸宗社インタビュー|連載まとめ

📚 全3本リンク

気になる回からでも読めます。よければ保存して、あとでゆっくりどうぞ。

※リンクは新しいタブで開きます。
鈴鹿のお役立ち情報

BLOG

PAGE TOP