【第1部】母の愛がパンを焼き始めた日|ケンちゃんのぱんと米粉パン開発の原点

【第1部】母の愛がパンを焼き始めた日

📌この記事の3つのポイント
  • 10種以上の食物アレルギーを持つ息子さんが原点
  • “元リケジョ”の探究心が米粉パン開発を後押し
  • 「地域の安心のパン屋さんであり続けたい」という10年後のビジョン

はじめに

ケンちゃんのぱんさんを初めて知ったとき、「アレルギー対応のパン」という言葉から、どこか専門店のような印象を持っていました。

ところが実際にお話を伺うと、その出発点はとても身近で、切実で、そして温かいものでした。

“母としての愛情”と“研究者としての好奇心”。その両方が、ひとつの小さなパン屋さんの原動力になっていました。

1. 息子さんのアレルギーと幼稚園入園

息子さんには、10種以上の食物アレルギーがありました。

幼稚園に入園するにあたり、給食の代わりとなる毎日のお弁当づくりが必要に。その主食となるパンを「自分で作るしかない」というところから、すべてが始まりました。

はじめて米粉を触りながら、「どうやって美味しいパンになるんだろう?」。そんな小さな問いが、気づけば大きな挑戦になっていきます。

2. “元リケジョ”の探究心が火をつける

当時、米粉パンの製法はまだ確立されていませんでした。作ればすぐ固くなる。うまく膨らまない。翌日は美味しくない。

けれど、その「上手くいかない」が、研究者魂に火をつけました。

「何が原因なんだろう?」
「どうしたら、もっとふんわりするんだろう?」

仮説を立て、検証を重ね、また試作する。その工程は、学生時代に夜遅くまで実験していた日々と重なったそうです。

パン作りが、いつの間にか“研究”になっていた。それは、とても自然な流れだったのだと思います。

3. 続けることで見えてきた10年後の姿

毎日の食卓を支えるパンは、派手ではなくても生活の一部。だからこそ「淡々と焼き続けたい」と話す姿が印象的でした。

10年後も、特別なことをしなくてもいい。ただ、アレルギーのある人にとって“安心して通える地域のパン屋さん”であり続けたい。

その穏やかなビジョンが、かえって力強く感じられました。

おわりに

ケンちゃんのぱんの物語の始まりは、特別なドラマではありません。ごく普通の家庭で生まれた「なんとかしたい」という想いからでした。

でも、その一歩が、今たくさんの親子の“食べられる喜び”につながっています。

次回の第2部では、「安心」と「美味しさ」を両立させるための工房のこだわりと試行錯誤について深くご紹介します。

✏️ 編集長:松山加奈の感想

今回のお話を伺って、まず心を動かされたのは、息子さんへの“まっすぐな愛情”でした。日々の食事を安全に届けたい。その気持ちが、やがて技術を習得し、研究にのめり込み、地域の親子を支える存在にまで育っていく——その過程すべてに温かさがありました。

また、華やかさよりも“継続”を大切にされていること。淡々と、でも誠実にパンを焼き続ける姿勢に、深い覚悟と静かな強さを感じました。

地域にとって「ここなら安心」と思える場所があることは、本当に心強いことです。私自身も、食や健康に関わる仕事をしてきた者として、そして一人の母として、この物語に大きな勇気をもらいました。

これからも、ケンちゃんのぱんさんが届ける“食べられる喜び”が、たくさんのご家庭に広がっていきますように。

松山かな(看護師/すずこれ編集長)

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